宮崎駿アニメの原作「失われたものたちの本」
- ホームページ管理人
- 2024年5月18日
- 読了時間: 3分
作者はジョン・コナリーさんです。以下、概要です。
舞台は戦時下のイギリスです。母を病気で亡くした少年・デイヴィッドは、父の再婚相手のローズと、ローズと父の間に生まれた異母兄弟のジョージーを受け入れる事ができません。母を恋しく思い、父と母と自分の三人だった頃に戻りたいと思っています。ある日、母の声を耳にしたデイヴィッドは邸宅の敷地内にある沈床園に足を踏み入れます。そして空襲を契機に物語の世界に迷い込み、母を見つけて元の世界に戻るため、物語の世界の王様に会う旅に出ます。
この本を読もうと思ったきっかけは、宮崎駿アニメの「君たちはどう生きるか」の分からないところを理解したかったからです。この本の作者は1968年生まれで、この本が書かれたのは2006年。作者は存命です。自分の作品が宮崎駿にアニメにされるなんて、なんて幸運な人なんだと羨ましいです。
私が「君たちはどう生きるか」を見て分からなかったのは、「我を学ぶものは死す」と書かれた門とその向こうの穴?洞窟?が何なのかと、アオサギの目的は何なのか、王様(叔父)の、積み木を積めというのは何かの比喩なのか?というところです。ネットでいくつか解釈を見て、なるほどなと思ったのですが、人の解釈で納得するより自分で原典をあたりたいと思ったので、読んでみました。
それでいくつか分かったことと、新たにわいた疑問を書いてみます。
まず、原作と宮崎駿版の違いです。原作では怪物の化けた偽物の母にしか会えませんでしたが、宮崎駿版は本物の母に再会できます。原作は人狼ですが、アニメは人鳥です。原作では偽物の母に再会したデイヴィッドが、もう母はどこにもおらず、思い出の中にしかいないことを自ら悟って母の死を受け入れますが、アニメでは母自身の「火は怖くない、あなたを産めるなんて最高だ」(うろ覚えです)という内容の言葉によって、主人公が現実の境遇を受け入れます。
原作の方がよりシビアで残酷、アニメの方が優しいなと思いました。
それで、「我を学ぶものは死す」の門と穴?洞窟?なのですが、原作を読むとあの洞窟はねじくれ男の地下世界のイメージであり、すなわちアオサギの住処なのだろうと分かります。それにより「我を学ぶものは死す」の「我」がアオサギを指すのだと分かります。
次にアオサギの目的ですが、原作ではねじくれ男が自らの命を長らえるために、デイヴィッドにジョージーの命を捧げさせようとします。その手段として、王様を操ってデイヴィットを騙そうとします。つまり、「君たちはどう生きるか」で王様が主人公に王様になれと迫るのは、アオサギに命令されていて、新しく生まれる予定の弟の命を捧げさせようとしているのかもしれません。
だけどその解釈では辻褄が合わないような気もしますし、理解するためには原作も映画も何周かしないといけないなと思いました。
それともう一点、原作では物語の世界に迷い込む子供は、妹や弟に怒りを感じている兄でした。それならアニメで主人公のお母さんが物語の世界にいたのは同じような理由なのかなというのも新たに湧いた疑問です。
ネットで検索したアニメの解釈の中には王様を宮崎駿の投影と考える解釈がありましたが、私はアオサギか主人公が宮崎駿の投影なんじゃないかと思います。
他にも気づいたことや疑問点はあるのですが、書ききれないのでこのくらいにします。
一度ではなく何度も見て楽しめるのが宮崎駿アニメのいいところなので、今後もゆっくりこの作品を楽しもうと思います。
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