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「力とは何か」権力の逆構造から見るコミュニティ

マックスウエーバーは「職業としての政治」でまず国家であるためにはmonopoly on violence(暴力の独占)が第一だと言っている。所謂力なきは無意味であり、国家としての意味をなさないということであろう。確かにそれは国の秩序を守るためには当然のことだ。しかしその権力は時にゲバルトになる。私は国家権力=ゲバルトと考えているが、その権力側の言動が時には相手に対する威圧になったり、強制になったりするもので、そこをよく理解しなければ権力者側と国民との間に摩擦が生じる。為政者や国家権力にたずさわる人間はそこをよく理解して行動しなければならないのだろうと思う。卑近な例だが、刑事が犯人をつかまえるためにまわりの迷惑おかまいなしに勢いだけでつっぱしっていいということはない。人権やモラルを無視して国家権力を乱用しずけずけと人の空間に入り込んで、たとえそのことによって検挙率があがったとしてもそれはゆるさせるべき行為ではないだろう。権力を行使する側は当然のモラルや常識そして時には思いやりと言うものを示さなくては国民には理解されないと思うのだが、それは当たり前のことであろう。そしてこれは監督やコーチも同じこと、いくら自分たちは上下関係がないとか言っていても監督やトレーナーは競技者から見たらある意味権力者であり、我々の言動が時にその競技者にとっては威圧になったり、強制になったりするものだ。人を指導するというのは熱意や勢いだけでは、相手の権利や人権を侵害することさえありうる。私はそこをよく理解して我々の言動を気をつけなくてはならないと思っている。指導者には教養が必要だというのは、物事の本質を深くとらえて、コモンセンスを理解する能力が必要だからだ。子供でも読めるスポーツのハウツー本やスポーツ選手の自慢話を書いた薄っぺらい本を読むよりもマックスウエーバーの「職業としての政治」やハンナアーレントを読んで暴力とは何かということを学ぶ方が競技者との関係をよくするし、コミュニティをよくするものだと信じている。言い方をかえればそれぐらいのことを理解できなければ力を行使するなということである。もちろんコミュニティと政治は違うが、しかしコミュニティにも小さな権力が存在している。そしてこの権力がどう行使されるかということが重要なことであり、その権力を行使することが暴力的になったり、相手を支配するものになってはいけないと思っている。

参考文献「職業としての政治」マックスウエーバー 岩波文庫

 
 
 

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