スポーツにおける競技者の人権
- ホームページ管理人
- 4月29日
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更新日:4月30日
MOBでは徹底して暴力を排除している。それは人権を含む人の人格を軽んじた行為で、そういう行為に対してMOBでは徹底して厳しい態度をとっている。しかしながら未だクラブでは一部では暴力的な行為が問題になっているし、暴言や人格否定的なことは未だ横行していることは容易に想像がつく。私が聞いてて気持ち悪いと思うことは、特に我々の世代がそうだが、部活で先輩や監督におこられたり、無理難題を言われて、いじめられたこと面白おかしく話し、盛り上がることである。ここまで行けばマゾの極みだと思ってしまうが、ある意味倫理感がマヒしてる。我々の世代は体罰が当たり前のようにあった時代であるが、クラブで当たり前のように体罰をうけてた世代の人は暴言を含む体罰を最近巷がうるさくなってきたので気をつけなくてはならない程度にしかうけとっていなくて、根本的に悪いことだと理解していないと思う。おそらくそれらは自分が競技者時代に経験したことと関係があって、競技者時代に監督やコーチから体罰をうけたり、おいそことか犬のように呼びつけられたり、人を軽んじるようなことを当たり前に受けいれて来た世代は、人格を尊重されると言う経験がないので、根本的にそれがなぜいけないのかということがわからないのだろう。未だ競技者を犬のようによびつけたり、おいそこと物扱いするような行為はしばしばみられるが、介護でもないのに監督の食事の世話までさせるのはかなりばかげている。こういうことを言うと礼儀を教えている的な屁理屈を言う人間がいるが、礼儀を学ぶのであれば、まず正しい敬語と日本語を話し、それを身をもって実践することが大事なのではないかと思う。今や共通語である英語を理解することは常識であるし、人に何かを伝えたり、教えたりするのに正しい日本語を理解することは必要なことである。若い時に一つの事に没頭することは時には必要かもしれない、しかし年をとったらある程度常識的な学力は必要なことだし、そういう能力がないとコミュニケーションがうまくとれない。自分が頂点に君臨するためにわけのわからないルールを押し付けてアホなヒエラルキーをつくるのではなくて、英語を積極的に話し、正しい日本語を話して相手を尊重する。私の監督はすごく知的な人で、リングをおりたらジェントルマンであれといっていたが、それは決してそういうふりをするということではなく、根本的には知性を磨いて作法を重んじる、マイノリティをおぼえてその人たちを尊重しろということだと理解しているが、やはりこういった事は言葉をしっかりと理解して、知的な要素を養う事とは無関係ではない。スポーツにおいてお互いを尊重することは大事なことだし、オリンピズムの精神はまさにこのことであるが、スポーツをやっているのに人格を無視したり、否定されたり、子分のようにあつかわれるのはスポーツ精神に完全に反している。おいそこ(It)、犬のように呼びつける、自分を偉そうに見せるために競技者をひよっこ扱いすることは本当にだめだと思う。
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